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★★「もうあかん!もう終わりや~」

 from:神戸のそば屋から 鳥羽 洋史   おはようございます。 鳥羽洋史です。    今日から1週間、 店舗売上を伸ばすためのお話を させていただきたいと思います。     普段は、お店で蕎麦をうっているので、 講演など頻繁にしているわけではありません。     だから、こういった過去の自分の事を 書くのは 正直、苦手です。     でも、今回はメルマガ読者さんに向けて 1週間の集中講義をしようと思います。   読んでくださっているあなたが 一番成果がでるように、、、、 何を話そうか考えました。     今まで自分がやってきたことをお話ししますので、 ぜひ、この1週間読んでみてください。     私は現在、 兵庫県で蕎麦屋を経営しています。     関西はうどんが主流で お蕎麦というと消費量がそう多くはありません。     その私がなぜ、 蕎麦屋を始めたのか?     それは、私が中学生の時に遡ります。 私の父は大衆食堂を経営していました。     父には弟子がおりました。 弟子たちはお店で修行して のれん分けという形で、 各々が巣立っていきました。     私は、父の5番目の弟子として 私は小さいときから、お店の手伝いをしていました。     そして、私が中学3年生の時、 父は、お店を大衆食堂から蕎麦屋へ お店を替えました。     私もそのころから蕎麦をうち、 修行の日々を積み重ねてきました。     そして、月日が流れ 私は結婚し、結婚と同時に 自分のお店を持つことになりました。     念願のお店。 本当にうれしかったです。     飲食店は、 朝から晩まで立ち仕事で 正直疲れます。     でも、お客さんからの 「美味しかったよ」の一言は、 どんな疲れも吹っ飛びます。     しかも今度はそれが自分のお店。 毎日が充実していました。     二人の子供にも恵まれ、 幸せを絵にかいたような人生だと思っていました。     でも、それは開店してから ほんの数年だけの間のできごとでした。     突然の災難が、 私たちを襲いました。     それが忘れもしない 1995年(平成7年)1月17日午前5時46分52秒 阪神淡路大震災です。     私は普段5時には起きて 仕込を始めます。     しかし、その日だけは 偶然、前日に深酒をしてしまい、 大震災の時にこっくり寝込んでしまっていたのです。     それが九死に一生を得て、 生き残ることができました。     もし、いつものように起きて 仕込をしていたら、お店とともに ぺしゃんこになっていました。       助かったのは何よりもありがたかったのですが、 実は、開店のために5500万円の借り入れをしていまして 更に、震災により店舗がなくなったことで、 追加融資を受けることになり、 これまでの借入総額は1億円を超えてしまっていたのです。     それでも、 震災後の復興景気によって しばらくの間はお客さんでにぎわいました。     しかし、それが終わると 売上は毎年下降線をたどり始めました。     気がつけば 朝から晩まで働いているのに 自分の給料の取り分はゼロ。     挙句の果て長年コツコツと貯めて おいた貯金を取り崩していく始末。     心配そうにする妻。   しかし、私は常にワンマンでしたから 「お前は店のことに一々口出しするな!」という雰囲気を プンプンちらつかせ、 さも「何時でも自分が正しい」ような 根拠もない自信だけで生きてきました。     しかし、今から7年前 売上は遂に最悪の状況に陥りました。     売上は最盛期の半分以下に落ち込み 200万円を切るありさまでした。     これでは、借入の返済すらままならず お店自体を手放さなくてはいけません。     私のカラ元気も根拠のない自信も底をつきました。     こうなるともうどうしていいかもわからず、 気持ちが荒れて妻に当り散らす。     しかし、そんなことをしたところで 自体は改善するわけでもありません。     そんな時、 一発逆転をしてやろうと チラシをやろうと思いました。     なぜ、今までチラシをやってこなかったのか?     それは、今まで私は、 ・美味しい蕎麦さえ作っていれば、お客さんは分かってくれる ・自分で自分のお店を宣伝するなんてダサいことなんかできるか! って思っていたからです。       しかし、 正直な話、もう、そんなことは言ってられなかったのです。 私には後がなかったのです。     売上は毎月ジワジワ減るし、 借り入れは毎月ちゃんと返さないといけないし、 かといって、今までの貯金も既に底をつきかけているし、、、     そこで私は決断しました。 チラシ2万部をまいて 一発逆転を狙おうと思いました。     折角、チラシをやるなら 「ケチ臭いことではダメだ!」 思い切ったことをやろうと、 自慢の皿蕎麦を65歳以上の人には無料で提供すると書いたのです。     なぜなら、職人気質の私は、 上手い蕎麦さえ作れば 一度食べてもらえばその良さは分かってもらえると その時点でも信じて疑わなかったからです。     印刷代や新聞折り込み代を加えると 費用は20万円を超えました。     今思えば、 これまでチラシの勉強などしてこなかったのに、 なぜ、いきなりこんな大博打みたいなことをしてしまったのか?     でも、それだけ切羽詰っていて 何とかしなければいけないという思いだけが突っ走り、 初めてのチラシで20万円もの大金を使うという選択肢をとしました。     当時の私は、 65歳以上の方は無料なんて書いてしまったので、 一気に、お客さんがあふれ出し、 お店が大変なことになってしまうのではないかと思っていました。     「明日は、店内に今までに見たこともないくらい  お客さんが来るからな!」     私は、スタッフ全員に声をかけ、 無理言って、お店で働いてもらうよう チラシが折り込まれる当日は、 全員参加のシフトを組みました。     そして、行列ができたら、 店外にどのように並んでもらうか?     私なりに、用意周到に 色々な準備も怠りなくやりました。     そして、いよいよチラシがまかれる日。   私の大逆転の火ぶたが切って落とされる、、、、   そんな華々しいスタートの日が、 人生最悪の日になろうとは その時の私には全く予想もしてなかったのです、、、、、     お店をあけども チラシを見たお客さんは、一向に現れませんでした。     「え?ほんまにチラシが折り込まれたんか?」 そう思って新聞を見ると確かに数あるチラシの中に織り込まれています。     「木札は営業中になっているよな」 ちゃんと営業中になっています。     「雨でも降っとるんか?」 晴れています。       結局、20万円もの大金を掛けたチラシからは わずか13人~15人しか来ませんでした。     しかし、 現実を受け入れたくない私は、 自分のチラシのスキルの無さには目を向けずに、、、、     「ケ!しょうーもない!  チラシなんて糞の役にも立てへんやん!」 「やめたやめた」   「そやそや、オレは蕎麦職人やん  そんなんチラシなどせんでも、  そば作りに集中しとったらええねん!」     こうやって、 チラシという手法が悪いねんと チラシのせいにして場をやり過ごしました。     それからまた、1年。 何もせずにふさぎ込んでしまった私。     首の皮1枚でなんとかやりくりはして 借金だけは何とか返していったものの 増える見込みのない売り上げの中で、 ただただ、苦しい日々を過ごしていきました、、、     しかし、聞いてください! 私の話は、悲しい悲劇の物語で終わるわけではありません。       あれから7年がたちました。 今ではお陰様で5年連続売上記録を更新し続けています。     腐りきっていた私。 そして、いつも空いていた私のお店が、 ありがたいことに多くのお客さんが来店するようになりました。     他のお店の店主からも 「お前んところは別やからな~」と うらやましがられるような繁盛するお店になっていった方法。     別に自慢したいわけでもありません。     今思えば、どうしてもっと早くから 真剣にお店づくりに取り組まなかったのか?と思います。     でも、聞いてください。   それまでが真剣でなかったわけではないのです。 私はいつも真剣に取り組んでいました。     でも、努力するところが違っていたようです。     なぜ、美味しい料理や良い商品を提供していても、 繁盛するお店と繁盛しないお店に分かれるのか?     そして、 テーブル席22席座敷12席(21坪)の小さなお店が、 毎年毎年売上を伸ばしていくことができたのか?     きっと、私なんかより大きいお店の方もいらっしゃると思いますし、 私よりももっと良い商品を提供しているのに、 売上に困っている方もいらっしゃると思います。     そうした方たちが、 私がやった方法をやれば、 もっと売上を伸ばすことができます。     一緒に切磋琢磨して 売上を伸ばしていきませんか?     明日から、経営の勉強をしたことなかった私が、 どうやって自分のお店の売上を伸ばしていったのか? 順番にお話しします。     ぜひ、楽しみにしていてください。     鳥羽洋史
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